札幌駅近く、小野百合内科クリニックです。大河『光る君へ』で藤原道長を俳優の柄本佑さんが演じていることを知っている方も多くいらっしゃると思います。藤原道長は、平安時代の最高権力者としてその名を馳せましたが、彼の人生は権力争いと栄華に彩られる一方で、糖尿病という病に苦しめられたという、あまり知られていない一面があります。本ブログでは、藤原道長と糖尿病の歴史について、彼の栄華と病気の関係を糖尿病内科の目線から考察しながら紹介していきましょう。
1 : 栄華を極めた道長の生涯と糖尿病
藤原道長(966~1027)は、平安時代の貴族社会において、絶大な権力を誇りました。彼は、一条天皇の母として一族の権力を拡大し、道長自身も摂政として宮中での権勢を極めました。しかし、その栄華の影には、糖尿病という病が潜んでいたのです。道長の健康状態については、彼自身の日記「御堂関白記」や、藤原実資の日記「小右記」に多くの記述が残されています。それらによると、道長は30代後半から頻繁に体調を崩し、特に40歳を過ぎてからは、糖尿病の症状とみられる症状が現れるようになりました。当時は「飲水病」とも呼ばれ、彼の日記には、頻繁に喉の渇きを訴え、大量の水を飲む様子が記されています。
2 : 糖尿病の影響と晩年の道長
道長が糖尿病に悩まされていたことは、彼の晩年の生活にも大きな影響を与えました。彼は頻繁に胸の痛みを訴え、さらには視力の低下、体力の衰え、そして背中に腫れ物ができるなど、さまざまな合併症に苦しんでいました。特に、視力の低下については、糖尿病網膜症の可能性が指摘されています。また、背中にできた腫れ物は免疫力の低下による感染症が原因で、これが彼の死因となったと考えられています。
3 : 道長が糖尿病を患った背景
藤原道長が糖尿病を患った背景には、平安時代の貴族社会特有の生活習慣が大きく影響していたと考えられます。道長をはじめとする貴族たちは、贅沢な食事と宴会が日常的であり、甘味料や高カロリーな食事が豊富に摂取されていました。また、運動不足や権力争いによるストレスも、糖尿病の発症を促進した要因といえるでしょう。さらに、道長の家系には、糖尿病の遺伝的素因があった可能性も考えられます。道長の兄や伯父、甥も同様に糖尿病の症状を呈していたとされています。このように、道長の糖尿病は、生活習慣や遺伝的要因が複雑に絡み合った結果であったと推察されます。
4 : まとめ
藤原道長の人生を振り返ると、彼の栄華と糖尿病という病の間には深い関連があったことがわかります。贅沢な生活習慣が、彼の健康を蝕み、最終的には命を縮める結果となりました。このことは、現代においても重要な教訓として受け取るべきです。糖尿病は、生活習慣病として、食事や運動、ストレス管理など、日常生活の中で予防が可能な病気です。道長のように、栄華を極めても健康を損なえば、その代償は大きいことを私たちは忘れてはなりません。もし平安時代に糖尿病薬やインスリン製剤があったら、もしかしたら歴史は大きく変わっていたかもしれません。
今回はこの辺で、また次のブログでお会いしましょう。
札幌駅近く、大通駅近くの小野百合内科クリニック
院長 小野渉